[解説&日本語訳]ウクライナ国歌「ウクライナは滅びず」 «Песня о Родине»
解説
この曲は1862年にパーベル・チュビンスキーが作詞、1863年にミハイル・ヴェルビツキーが作曲した。
1917年にウクライナ人民共和国の国歌として制定されたが、このウクライナ人民共和国は短命に終わり、旧ソ連によって歌うことは禁止される。1991年にウクライナは独立を果たす。当時の国歌「ウクライナは滅びず」の歌詞はその悲劇的なトーンが不評を買い、新政府は歌詞を募ったがオリジナルを超える作品が集まらず、多少の手直しを加えることでこの曲を国歌として交付した。
実はフランス同様、「今の国歌の歌詞は乱暴すぎるから変えるべき」と主張する人が少なからずいて、大統領への嘆願書を作成・投稿できるサイトでも新しい歌詞に変えるべきとする嘆願書が提出されているが、2500以上の署名必要としているのに対し、333しか集まらず、その嘆願書は大統領に届くことはなかった。その歌詞を変えた「人々のウクライナの国歌」はYouTubeにて「非公式の国歌」として配信されている。
歌詞
日本語訳
若き同胞達よ*2 運命はいまだなお我等に微笑むことだろう
我等の敵は陽に照らされた霧のように消え失せる
同胞達よ、我らは自らの地を統治しようではないか。
自由のためなら我等は身も魂も惜まず
そして兄弟達よ 示そうではないか 我等がコサックの一族であることを。
同胞達よ サンからドンまで 血の戦いに決起しようではないか
我が祖国を 外国勢力が支配することを 許してはならない
黒海はいまだ微笑み 祖父なるドニエプルは微笑む
ウクライナにおいて未だ幸運の熟成するのだから。
自由のためなら我等は身も魂も惜まず
そして兄弟達よ 示そうではないか 我等がコサックの一族であることを。
我等の忍耐と 努力が報われ
その歌はカルパチア山脈にて反響し 草原にも響き渡り
ウクライナの栄光と名声を 世界に知らしめる。
自由のためなら我等は身も魂も惜まず
そして兄弟達よ 示そうではないか 我等がコサックの一族であることを。
ウクライナ語原文
Ще не вмерла Україна, ні слава, ні воля*4.
Ще нам, браття молодії*5, усміхнеться доля.
Згинуть наші вороженьки, як роса на сонці,
Запануєм і ми, браття, у своїй сторонці.
Душу, тіло ми положим за нашу свободу,
І покажем, що ми, браття, козацького роду.
Станем, браття, в бій кривавий від Сяну до Дону,
В ріднім краю панувати не дамо нікому;
Чорне море ще всміхнеться, дід Дніпро зрадіє,
Ще у нашій Україні доленька наспіє.
Душу, тіло ми положим за нашу свободу,
І покажем, що ми, браття, козацького роду.
А завзяття, праця щира свого ще докаже,
Ще ся волі в Україні піснь гучна розляже.
За Карпати відоб'ється, згомонить степами,
України слава стане поміж народами.
Душу, тіло ми положим за нашу свободу,
І покажем, що ми, браття, козацького роду.
余談
ウクライナとロシアは起源をたどればキエフ広告にたどり着く。モンゴル帝国の到来後、ロシアとウクライナは一旦は別の運命をたどることとなった。
ウクライナ語の響きは兄弟語のロシア語と比較しても滑らかというか上品に感じる。言語以外の文化もそう。遠く離れた地でロシアと思われているものも実はウクライナだったり、その逆だったり、両方の文化だったり、文化的にも近く、混合もされやすい。
そんな地で負の連鎖が続いているのは悲しいことだと思う。アゾフ連隊は侵略者とされているロシアから敵視されているだけあって西側諸国では英雄扱いだが、白人至上主義の極右過激主義者組織:アゾフ大隊は憎しみの連鎖で誕生した組織と言っても過言ではない。
今回のウクライナ侵攻はNATO加盟などをめぐる地政学的なものだと考えられるが、その引き金となった親ロシア派の存在もロシア語排除とウクライナの民族主義が作り出したものと言っても過言ではない。
お互いが憎しみを忘れ、兄弟が仲良くなる日が来ることを多くのロシア人は切に願っている。
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